日本語版 生命と存在の記憶

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私たちは生命宇宙に住んでいる。この宇宙は、ロボットやETでない限り、人間を含む地球上のすべての生物を包括している。 人生とは、その人の周りを囲む空間と進化の時間をかけて起こったことの記録であり、個人の歴史の記録だ。人が生きてきた証というのは、このように、その人の身の周りの空間と時間の流れの中で起こったことの、記憶の蓄積から成り立っている。 換言すれば、人の歴史は、その人の記憶の蓄積の上に成り立っており、それがなければ、人は成り立たず存在もしない。こうしてみると、人類の歴史は、記憶の蓄積の上に成り立っており、それがなければ、人類は成り立たず存在もしない、という仮説が成り立つ。 この仮説に基づくと、記憶には二つの種類があることに気づく。 一つは、胎内記憶だ。これは、人類の最初の母の胎内を起源とし、40億年の進化の過程を経ながら、人類の生命が代々受け継いできた自然の記憶を指す。 もう一つは、胎外記憶だ。これは、ホモ・サピエンスの子孫である人間が、地球上の生命、共同体、文化的環境の中で、700万年かけて代々その知的組織に蓄積し、創造し、発明し、開発し、あるいは拒絶してきた、すべての記憶を指す。 言い換えれば、前者を「生命の記憶」、後者を「存在の記憶」と呼ぶことができる。空間を軸にとれば、生命の記憶と存在の記憶は、互いに作用しあいながら、それぞれの周りを回転している。これに対し、時間を軸にすれば、両者は一つの線上でつながっている。これらの記憶は、互いに回りあいながら、同時に、線状でつながっている。謎そのものではないか。
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