日本語版 生命と存在の記憶

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人は生きるために生きており、自分を殺したり、人を殺したりするために生きているのではない。人を殺すにしても、生きるため、生かすために、殺す、殺させることはある。でなければ、数百万年前に、人類は跡形もなく消滅していたにちがいない。しかし、例外のない規則はない。もし人が、思い余って、あるいは意志的に、無意味な殺人を犯すこともありうる。その場合、生命の記憶に背を向けるという、究極の規則違反をおかしたことになる。そして、メビウスの輪から逸脱してしまうことになる。 人にこのような重篤な影響を及ぼすことができるのは何か? それは、存在の記憶を操作できる知的影響力、中でも自然の摂理と相いれない抽象的な考えを創り出す知的な影響力だ。自然の摂理と両立しない抽象的な考えは自然界に起源を持たず、結果的に、生命記憶の中で、それに対応できる記憶の回転軸をもてない。メビウスの輪からの完全に脱線してしまう。 人の身体は、身体としての自然だけでなく、言葉の如何を問わず、自分を論理的に表現できる知的能力にも恵まれている。この天賦の才は、人に与えられた特権だ。生命の記憶はすべて胎内伝達によって胎児に伝達され、胎児は生まれてすぐに知的な才能を開花させる。この知的能力が、人体生命の孵化器である自然との連続性の中でのみ、その知的源泉を開発することができ、胎外記憶を発展させることになる。
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