日本語版 生命と存在の記憶

5/9
前へ
/29ページ
次へ
この知的能力は、人体の生命を育む自然との連続性の中でのみ、その知的源泉を開発し、胎外記憶を発展させていくことができる。この知的能力は、したがって、生命の記憶と両立できるものでなければなければならない。たとえ存在記憶の側に、抽象的な考えが一つ芽生えても、生命記憶の側に対応できる同等の胎内記憶がなければ、メビウスの輪の軸にそって、互いの周りを回ることはできない。胎内記憶に相棒をもたない胎外記憶は、いずれ生命宇宙から消えてなくなる運命にある。 もし、存在記憶の側に抽象的な考えが一つ芽生えても、生命記憶の側に対応する同等の胎内記憶がなければ、胎内外記憶のメビウスの輪に統合されることはなく、いずれ生命宇宙から消えてなくなる。 くり返すと、抽象的な考えは、生命記憶に対応できる同等の記憶がなければ、いずれ生命宇宙の外で消滅する運命にある。とても斬新な学説を一つ想定してみよう。「殺人のための殺人は人道主義が薦める解決策の一つである。」 この真新しい学説は、たとえ知的才能の立派な作業が生みだした傑作の一つだとしても、生命記憶と存在記憶のメビウスの輪に定着することはできない。なぜなら、殺人を目的とする殺人は、生命記憶のどの目録にも記されておらず、互いに影響しあえる記憶の相棒が存在しないからだ。したがって、生命宇宙から排出され、いなくなり、消滅する運命にある。 例としてあげれば、共産主義に勝るものはないだろう。
/29ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加