日本語版 生命と存在の記憶

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民主主義は、第二次世界大戦の間、および、とりわけソビエト連邦やシナ大陸における狂おしい数十年間に、どんな形にせよ地球的規模で体験した、全体主義の壊滅的な浸透に対抗するための要塞、とみなされていた。今日、もし幻想でなければ、民主主義の至高のシンボルとされるアメリカ合衆国が、金融資本主義の罠にはまり、想像もつかない容易さで、全体主義の手中に落ちてしまった。民主主義は、その自由な神話のベールを剥ぎ取られ、全体主義の廃墟に通底する闇の暗渠という、隠された本性を露わにしてしまった。 上述したように、金融資本主義は、まさしく抽象的な考えだ。これも上述したが、自然の摂理と両立できない抽象的な考えとその記憶は、生命宇宙から消滅する運命にある。なぜなら、メビウスの輪の記憶の中に、互いに自分の周りを回りえる相棒の生命記憶を、見つけ出すことができないからだ。 では、金融資本主義が、その存在記憶とともに消滅するというのは、本当のことなのか? 答えはイエスだが、消滅するまえに、変態することを注記しておかなければならない。 金融資本主義は、まず、共産主義のプロレタリア独裁の毒を吸い込み、薬中となったため、金融資本独裁主義を画策し、金融資本の独裁体制を充実させる。その過程で、三権分立を存続させたまま疑似的な民主義をベースとする疑似民主的世界主義への変容をたどる 疑似民主的世界主義の拡散の過程で、民主主義の痕跡を一掃したい欲求から、禁断症状として、三権分立を完全消滅させた世界全体主義への変容に躍起となる。
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