魔女姫は海に啼く

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 酒場に帰って、店主と話をした。 「事情があるので今日付けで辞めさせてくれないか」と言うには、勇気が要った。  しかし店主は「ああ」とだけ言って頷き、今日いっぱいは働くことを約束して話は終わった。今日までの給金は店じまいの後、渡してくれることになった。  サイはラナが心配なのか、仕事が終わるまで酒場(ここ)で待っていると申し出た。  注文を取り、給仕をしながら、ラナは視界の端に映るサイを意識する。  彼は酒を飲みながら、本を読んでいた。目が合いそうになって、ぱっと視線を逸らす。  夢みたいだけど、夢じゃない。  たしかに婚約者は、生きていたのだ。  ラナは最後の挨拶の際に、何度も店主に頭を下げた。彼はそう残念がるでもなく、しかしラナの勝手を怒るでもなく、いたって事務的にラナに最後の給金を渡してくれた。  ラナが店の外に出ると、サイが「行こう」と促す。  ラナは汗ばんだ体を意識しながら、空を仰ぐ。もう夜中なので、闇が深まっていた。 「あのね、朝まで開いてる公衆浴場があるの。行っていい?」 「もちろん」  承諾を得て、ラナはホッとする。一応自分の家にも浴場はあるのだが、小さいし湯を沸かす手間もかかる。仕事の後はいつも、公衆浴場で湯浴みするのが習慣となっていた。 「君、いつからひとりで暮らしてるの?」  サイに問われて、ラナは少し考え込んで「二年ぐらい」と答えを返した。 「……そう。何事もなかった?」 「うん」  平凡だったけれども、平和な日々だと言えた。淋しさは常に胸にあったものの……。  それならよかった、と安心したようにサイは呟いた。  公衆浴場に寄った後、ラナはサイを家に案内した。 「……結構広いんだね」 「元々、三人で住んでたから……」  爺やの部屋と婆やの部屋は、今は空き部屋になっている。どちらかにサイを案内しようと思ったが、もう彼らの部屋に寝台がないことを思い出す。 「サイは、私の部屋で寝て。私は婆やの部屋で寝るわ」 「……どうして?」  サイは不思議そうに首を傾げた。
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