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「私を通り抜けた先には憂いの都があり、私を通り抜けた先には永遠の苦しみがあり、私を通り抜けた先には滅びゆく人間がある。この先を行く者は一切の希望を捨てよ。」
その言葉は門扉自身が私に向かって発していた。暗闇に響き渡る重低音は地獄の門の声に相応しかった。私はこの台詞を良く知っている。ダンテの『神曲』だ。ロダンの地獄の門はまさにその『神曲』を具現化したものだ。私はセリエA時代、イタリア語の書物に挑戦して、このダンテのこの叙事詩に出会った。イタリアで暮らす上でイタリア語の習得と、カトリック的価値観の理解の為に、このダンテの作品は実に役に立った。今私はかつてダンテがそうしたように、地獄の門の前に立っている。やはり私は死んだのだ。そして死後私が入るべき世界が地獄だったとしても、それは不思議ではない。
私は門扉を開けようと前に1歩進む。
「待ちなさい。お前は自殺者だな。」
門扉の上部から声がする。それは門扉自身の声とは違う、透き通るような知的な声だった。私は声のする方を探す。門には様々な人間の姿が描かれている。その中で、中央にあるしゃがみ込む男の姿が目に入る。彼は何かを考えるようにしてしゃがんでいる。先ほどの声の主は彼だった。
「お前が死んだ理由何だ。」
彼は私に尋ねる。
「憶えていないのです。」
私は正直に答えた。
「なるほど。だが、それでは地獄には行けぬ。死には全て理由がなくてはならない。」
彼は言った。ダメだと言われても、憶えていないのだから仕方がない。私は困惑して、彼の次の言葉を待ったが、反応はない。
「死の理由なんて、誰もが持っているものではないのではないでしょうか?」
私は困った挙句、彼に対して反論を試みた。心証を悪くしたかと彼のふさぎ込んだ顔を覗くが、やはり表情に変化はない。
「死の理由は神が与え給うのだ。先に理由があって、そして結果として死が与えられる。故に神が与えた全ての死には理由があるのだ。自殺者は自分で死を選んだと思っているが、それは違う。生死は神の専任事項であり、自ら決められるものではない。 神が理由を与え給うたが故に、自殺も行われるのだ。」
「では、私の死にも理由を与えてくれているのでしょう?」
私は地獄の門の門番たる小さな考えるブロンズ像と議論を戦わせる。
「いや、未だお前には理由を与えていない。故にお前は未だ地獄には行けぬ。」
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