オルター・洋子「龍平洋漂流記」より 第5章 真摯な男たち

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「北のカナリアたち」は、湊かなえ原作の「ヒューマンサスペンス」とありましたが、観てみると主演の吉永小百合のせいか、サスペンスというよりは「二十四の瞳」みたいな映画でした。弧島の分校の子供たちが、それぞれの事情を抱えながらも懸命に生きて29歳に成長しております。哀しい事情で島を追われた吉永小百合扮する先生に再会します。どんな人間も多面体だし、いろんなことを胸に抱えて生きている、ということは判ったけど、クライマックスで泣くほど心が動いたかというと、そういうこともなかったなあ。若手のスター俳優が並んで、吉永小百合の指揮で「歌を忘れたカナリア」を合唱しますが、あのシーンにも何となく違和感を覚えました。ちょっとだけ、鼻白む、というか、尻込みするというか。これは東映の60周年記念作品となっているのでスターカタログとして観たらいいのかもしれません。  なにより考えさせられたのは「吉永小百合」という存在についてです。 ちょっとだけ、顎のあたりに弛みを許した吉永小百合の横顔を見ながら、撮影当時70歳近いのに、痛々しくも、わざとらしくもない美貌を保っている吉永小百合の美意識は、日本人の好みにぴったりなんだな、と改めて思い知りました。 「吉永小百合がアンチエイジングの外科手術を受けるなんて絶対有りえない、あれは自然な美しさ」と誰もが信じて疑わないようなところが、凄くもあり、特にファンでもない私には、又かあ…という気ももします。「忍ぶ恋の相手」が、みごとに青年の瑞々しさを残しつつも既に青年ではない中村トオル、というのも何というぴったりさ。  だけど吉永小百合が白い喉を見せたキスシーンは美しいとも切ないとも思えなかった。むしろ、なんか遠慮したい気持ちになった。さすがにシャープな美しい顎の線がでないし、といって「熟女の色気」というのでもなし。でも、そのくっきりしない感じが、ファンにはいいんでしょうね。一体、吉永小百合が、白髪頭のおばあさんを演じる日などは来るのだろうか。そんなことしたら暴動が起こるのか。
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