異国の蝶

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 消え掛けていた焔が再び熱を取り戻し、林は大慌てでバルコニーを離れ、ユーリンを迎える準備を始めた。苛立ちに散らした煙草の灰を綺麗に拭い、無駄な電気を全て消す。何も本当に会話をしようなどと思ってはいない。寧ろ言葉など何一つ必要では無くて、唯一夜の夢を見られれば良い。林はそう言う男であった。そもそも、夜の街に生きていて、この誘いがどう言う性質のものか気付かぬ者はいない。  エントランスのオートロックを解除し、玄関の前でまたひたすらに待つ。ここまでゆっくりと来たとしても五分はかからない。それでも時はゆっくりと進み、遂に外に人の気配を感じた瞬間、待ち切れず林は扉を開いた。知らせずとも開け放たれた事にユーリンは驚き目を丸くしていたが、林はそんな焦れったいやり取りをする気はない。扉をノックしようとしていたのか、宙で浮いた腕を引き、有無を言わせず部屋の中へと連れ込んだ。そのまま抱き竦めた身体は、思うよりも細く、そして頼りないものであった。薄暗いバーでは気付かなかったが、ちゃんと食べているのか疑わしい程である。  だが予想に反し、ユーリンは弱々しくも明らかな困惑と拒絶を込めて林の胸を押し返した。 「何を純情ぶっているんだ。キスをした男の部屋に上がるなんて、そう言うつもりだろう?」  言葉が通じないとわかっているからこそ、普段言わないような冷たい言葉も滑るように口をつく。人間の残虐性が華開いて仕舞えば、後は転がるようであった。  強引に塞いだ唇から、呻きに似た声が上がる。弱々しいながら必死で手足をばたつかせ、ユーリンは何とか逃れようと足掻いているようだ。それがまた、林の征服欲に火を点けた。痺れてゆく脳で、林は不思議に感じていた。此れ迄こんな風に強姦紛いの抱き方をした事はなかった。勿論この部屋に来た以上合意の上で身体を重ねるのだから、そんなつもりはなかったなどと言う輩はいなかったからではあるが、そもそもだとしたならば、ユーリンの態度は予想もしていなかった物である。だからこそ不思議なのだ。去る者は追わぬタチの林が、これ程夢中になる事が。  ふと少年時代、家族で避暑に出掛けた山中で見付けた美しい蝶を捕らえようと躍起になった事を思い出す。網で追い掛け回し、やっとの思いで捕まえたあの美しい蝶は、どうなったのだったろうか──。
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