異国の蝶

11/25
前へ
/25ページ
次へ
 痩せこけた身体を軽々と抱き上げ、ベッドルームへと運び、身を包んでいる服を乱暴に剥ぎ取りながらも林が遥の記憶に思いを馳せていた時だ。突然鈍い音が響き、我に帰った林の視界の片隅で、何かが宙を舞った。木片が硬いフローリングと衝突し、軽い音が残酷な夜の時を止め、一瞬の静寂を呼ぶ。床に寝転んだものは、既に肩口まではだけた黒いワイシャツの下に隠されていた大ぶりのクロス。それは、ファッションで付けるネックレスなどではないと、林は直感で感じ取った。十字架に架けられたイエス──それは紛れもなく、ロザリオである。  ユーリンは此れ迄の消極的な弱さが嘘のよう、その瞬間だけ、まるで気が触れたかのように爆発的な感情を露わにした。組み敷かれた身体を跳ね上げ逃れると、慌てて拾い上げたロザリオをまるで大切な宝物を落としてしまった子供のように抱き締めている。林は典型的な無宗教の日本人である。だが、それなりに社会的地位があるが故、様々な宗教を信仰する人々を見てきた。中には凡そ理解が難しい場合もあったが、林自身、それを彼等のアイデンティティとして受け入れる器は持っていたから、それ程特別視も、苦労もしなかった。  ユーリンはそれ以上動く気はないようで、ロザリオを抱いたまま蹲っている。丁度良く冷えた頭を掻いて、林は堅く握った掌の中からそっとそれを取り、元の位置に掛け直してやった。驚きに満ちた瞳は濡れ、今にも溢れそうな涙が、下瞼の上で逡巡している。林はその時に、自身の脳が長い待ち惚けによりどれ程に熱せられていたかに気付かされた。この手のタイプは、力任せに押せば押すほど心を閉ざしてゆく。乱暴に扱われる事を快楽とは捉えない類の人種である。代わりに、嘘偽りであっても優愛の前にはとことん脆い。  床にへたり込んでいたユーリンを抱き上げ、優しく唇を塞ぐ。飢えた獣のように襲い掛かって来た男の突然の変貌に、ユーリンは混乱故頭が追い付いていないようだ。それを良い事に、林は出来得る限り優しく頬を愛撫し、もどかしい程緩く唇を吸った。そうしていれば案の定、先程までの弱々しい抵抗さえ忘れ、ユーリンは恥じらうように瞼を伏せ、林に身を委ねた。
/25ページ

最初のコメントを投稿しよう!

43人が本棚に入れています
本棚に追加