異国の蝶

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 だがその男は、何かが圧倒的に違っていた。生きている時間も、命に対しての理解も、身に染み入った常識さえも全く異なる気がして、背筋を駆け上がる悪寒に林は大きく身震いをした。必死で逸らした視線の先でこちらを見詰める棗さえ、彼と同じ匂いがするようだ──。  林の額にじっとりと滲んだ脂汗を、棗は優しく拭い、薄い唇を開いた。 「僕たちは幸福の中にいる。帰る場所があり、食べるものも豊富にあり、神と言う不明確な存在に身も心も捧げずとも生きられる健康な精神を保つだけの環境もある。けれど、不幸だ」  林は大袈裟に喉を鳴らし唾液を呑み込んだ。酷く喉が渇き、目眩さえ起こしそうだ。しかし、棗は赦してはくれない。 「貴方のように、満たされている現状に背徳を感じる方が大勢いる。その為に、他者を利用し束の間の満足を得て、そしてまたそんな自分を戒めるように生きる」  そんな事はしていない。ただ、綺麗な青年だったから抱いてみたかっただけだ。そう心の中で反論しておきながら、それを言葉にする事が叶わない。 「ユーリンは、貴方に頂いたお金を大切にしています。残して来た家族への仕送りにする為に。……優しい子なんです。遊びならば、どうぞもう手を引いて頂けませんか?」  どうして──言いかけて、林は棗の深い瞳が自身を写していない事に気が付いた。その先を追い掛け、そして気付く。 「大切なひとが、傷付いてしまうから」  囁くようにそう言った棗の瞳は、やはりたったひとりだけを閉じ込めたまま。恋も、愛も、裏切りも、何もかもを全て知り尽くしているように思えていた棗の見せたその横顔に、林は酷くうちのめされた。
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