異国の蝶

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 ふとユーリンは少し照れ臭そうに床にへたり込む林の胸にそっと潜り込んだ。震える細い腕が、優しく背に回される。柔らかな声は全てを包み込むように微かに歌を口遊む。言葉は分からない。それでも、何もかもが赦された心地がした。そればかりではなく、ユーリンの愛情が全身から染み入るようだ。  林はその時に漸く気付く。どうして不実に生きてきたのかを。  誰もが責めていると思っていた。この常識的な幸福に満ちた何の滞りもない平和な人生を。世界中で今も戦争は起こり、飢えた子供は夢を見る事なく死んでゆき、血の混じった涙を流している人がいる。林は悲観していたかった。自身はこの幸福に押し潰され、疲弊しているのだと。それすらも贅沢だと罵る声が聞こえるようで、唯々生きる事が息苦しかった。ユーリンもまた、このぬるま湯でふやけた自身を憎んでいるものと──。  けれど、そうではなかったのだと林は知った。やはり自分は幸福であり、生の苦労を知らない。だがそれは、背徳ではなかった。胸を張るべき事だった。恵まれている、それだけで、誰かを救う事が出来るかも知れないのだから。  林は脱力したように抱かれたまま、ゆっくりと瞼を閉じた。まるで母が揺らす揺り籠のような、深い優しさが林を包み込む。このまま朝が来て、少し疲れた顔を見て、そしてやはり彼を愛おしいと思ったならば、初めて芽生えたこの感情を残らず伝えてみよう。林はぼんやりとそう思った。 【完】
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