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ストーカー現る
君の存在に気がついたのは先月の仕事帰り、いつから僕を見ていてくれたのかは分からないけれど。
「うっ、寒い」
あの日は夜が深くて地下鉄から地上に出る通路には、いつもこの辺りをうろうろしている「大将」と僕が呼んでいる猫しかいなかった。
一人で帰るには少し静かすぎる時間帯。足音がやたらと響く地上への階段を上がりきったところで、コートの襟を少し引き寄せていつものように右に曲がった。
ぽんと軽く跳ねるように先へ五歩進んだ時に何かに引っ張られたような気がして振り返った。
「あれ、誰かに見られている?」
動かない影がこちらを見ていた気がした。この街に引っ越して来て二カ月だけど、会社と自宅との往復でまだ誰も知り合いはいないはずなのに。
背筋がぞくりとしたけれど、そのまま気にも留めない振りをして歩みを進めながら考えた。別に身に覚えはないし、たまたまこちらを見てただけ。そう思うことにした。
視線が後を付いてきた。注がれ続ける視線に、だんだん背中が熱くなり呼吸が何故か浅くなり苦しくなってきてしまう。
不躾なその視線にさらされ続けて、ざらざらとした物で背中を撫で上げられたような感覚が走る初めての経験。何かに頭を鷲掴みにされているみたい。
「あ、なんかくる」
全身が粟立つようなぞくりとした感覚。
「あ、やば、たってんじゃん」
これってナニ.......何だろう?
誰かも分からない視線だけの相手に自分が欲情しているという事実に驚いた。
「マジか」
頭の芯までじんと響く、身体の中心から発される疼きに苦笑するしかなくて。同じ速度でついて来た視線に、捕まえられて押し倒されたいと思い始めていた。君は知っている?僕の心拍がとくとくからどくどくに変わっていったことを。
家に着くまで同じ距離、近づきすぎてもこないし、離れても行かない。視線に侵されて胸のざわざわが止まらない。
自分の右手を左耳にあて、そこから鎖骨に向かってゆるりと撫でおろす。「はあ」と声が出た。振り返った時には君の視線は消えていた。
「え……どうすっかなこれ」
自分の下半身を見て、誰もいない後ろを見て何故か笑いがこぼれてきた。
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