ー Sweet Honeymoon ? ー

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 まるでそこだけが凍りついたかのごとく凛とした冷気をまとうその人は、氷の精霊のように美しい男だった。短く切り揃えられた黒髪は射し込む太陽の光で輝き、七三に分けられた少し長めの前髪から切れ長の瞳が覗いでいる。透き通るような白い肌、高すぎる鼻梁、綺麗な直線を描く眉と、鮮やかなトルコブルーの瞳。面長の輪郭に全てが完璧に配置された隙のない美貌の中で唯一、唇だけが桃色に色づいている。  足の長さだけでもかなりの長身であるのはよくわかった。無駄なぜい肉が一切そぎ落とされた体は痩身でありながらも筋肉質で、濃紺のYシャツをまとった上半身は美しい逆三角形をしなやかに描いている。ガラスの壁から射し込む日光を浴びて尚、永久凍土のように澄んだ冷気を帯びる姿からは、人を寄せつけない威圧感と神聖な気配が漂い、洗練されたその容姿はまるで、神に生命の息吹を吹き込まれた氷像のようだ。 「一応あいさつしておくか……」  船に到着してすぐレンに部屋へ拉致されたから、彼と会うのはほぼ2週間ぶり。会ったといってもヘリに乗り降りする際一緒にいたというだけ。あれから姿を見ていなかった。名前はデレク……だったような気がする。人嫌いで気難しい男のようなので、フレンドリーな感じで近づくのはやめておこう。  深呼吸してから姿勢を正すと、奏真は改めて氷の男を見やった。置物かと思うぐらい静かに読書中の男は、こちらに気づいてないのかあえて無視しているのか微動だにしない。できるだけ足音を立てずに近づいて、奏真はそっと声をかけた。 「ハ、ハロ~、ロングタイム、ノーシ~……」  お久しぶりですと言ったつもりなのだが、相手は無反応。氷の男は視線を本に向けたままだ。でも奏真はめげなかった。読書の邪魔にならないよう注意を払いながら訴え続ける。 「ドゥユー、リメンバー、ミ~? アイム、ソウマ……あ゛」  とまで喋って奏真はハっとした。大事なことを忘れてた。レンから受けた忠告をたった今思い出したのだ。 「ヤバッ……!」  慌てて口を両手で塞ぎ、奏真は冷や汗をかきながら本の表紙を確認した。人間嫌いで気難しいパイロットが病理学書を読んでいる時には注意が必要だった。理由は知らないが、レンがそういうのだから危険なんだろう。古びた青い革表紙には、金字で『Die Sonne und der Wind』と刻まれている。何語かな。英語じゃなさそうだがいずれにせよ、本が病理学書だったら間もなく撃ち殺される可能性が高い。思わず、奏真が一歩後退した次の瞬間。 「……日本の語学レベルは最低だな」 「えっ、 日本語喋ってる!?」  氷の男の唇から漏れたのは、流暢な日本語だった。呆れたような溜息が再び唇から溢れた直後、トルコブルーの瞳がジロリと上向く。鋭い視線に射抜かれた瞬間、背筋にゾワッと悪寒が走り、奏真は小さく身震いした。一切の感情がない冷酷な眼。生きながらにして死んでいるような、あるいは死者が魂だけで存在しているような、暗く悲しげな瞳がじっとこちらを見据えている。 「日本は経済力3位の技術先進国だと思っていたが、捜査官がこのレベルでは国際競争力も知れてるな」 「あ……日本語、話せるんですね」  奏真はぎこちなく微笑んだ。凍てつくような威圧感にちょっとばかり気圧されたものの、すぐに気持ちを立て直して冷静に応じてみせる。 「クセのないキレイな日本語だなぁ、留学とかしてたんですか?」 「……」  だが、そこらの犯罪者よりも氷の男は手強かった。興味を無くしたように視線を切り離すと、無言のまま再び読書に戻ってしまった。これ以上話しかけたら撃たれそうな感じ。静かに本を読むその体からは、何物も寄せつけない硬質な拒絶のオーラが漂っている。さて、どうしようか。黙って突っ立っているわけにもいかず、かと言って話しかけることもできない。優雅なクラシック音楽が空しく漂う中、どうしたものか悩んでいたところで、背後から軽快な声が飛んできた。
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