ー Sweet Honeymoon ? ー

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「――ソウ、お待たせ。遅くなってごめんね」 「レン……!」  振り返ると、穏やかなチョコレートブラウンの瞳と視線が重なった。太陽の日差しの中をレンが颯爽と歩いてくる。こうして見ると、レンと氷の男は対照的だった。レンを王子に例えるならば、氷の男は騎士といったところだろうか。その不愛想な騎士に気づいた途端、ハレンチ王子の瞳にふと優しい光が灯った。 『やあ、デレク。ここにいたんだ? 船長が君を探してたよ、準備が整ったってさ』 『……』  紙面から再び、トルコブルーの眼がジロリと上向く。相変わらず氷の男は沈黙したままだが、さすがは友達というだけあってレンの方は落ち着いたものだ。ヒョイと本の表紙を覗き込むなり、苦笑しながら呟いた。 『"Die Sonne und der Wind"……また読んでるんだ? まぁ、君の聖書(バイブル)だもんね』 『余計な話はいい。要件だけ簡潔に話せ』 『アハハっ、ご機嫌ナナメだねぇ。ホント、君の無愛想は相変わらずだな。笑ったらキレイなのにもったいない』  早口で交わされる英会話を聞き取る事はできないが、それでも奏真はハラハラした。氷の男の眼光が鋭さを増しているからだ。読書の邪魔をされて不快なのだろう。場の空気というものを全く読めないレンの袖を引っ張って、奏真は小声で忠告した。 「おい、レン。そっとしておいた方がいいんじゃないのか? お前の友達、病理学の本を読んでる時はヤバいんだろ?」 「うん? あぁ、大丈夫。あれはドイツ語で『北風と太陽』って書いてあるんだよ」 「北風と太陽っ? イソップ物語のぉ?」  予想外なタイトルを聞かされて、驚きのあまり声が裏返った。お茶を飲みながら人でも殺せそうなぐらい冷淡なこの男が、まさか子供じみた童話を真剣に黙読していたとは。類は友を呼ぶというから、やっぱレンと同じように、この男もどこかマニアックな面があるのかもしれない。 『……おい、アンドレ。早くオレのルートを教えろ。念のため捜査網を確認しておきたい』  低い声音で氷の男が何か言った。ネイティブ英語の中で、何とか"アンドレ"という単語だけ拾えたけれど、後はさっぱりわからない。アンドレはレンの本名。アメリカではずっと"セシル・ファウラー"という偽名を使っていたというから、きっとずいぶん古くからの友人なんだろう。本を閉じた氷の男はボストンバックにそれをしまうと、スマートフォンで何やら操作を始めた。その様子を眺めながら、ソファの背もたれに腰かけたレンが不服げに口を尖らせる。 『だからぁ、僕はもう"アンドレ"じゃなくて"レン"だってば』 『君の名前なんてどうでもいい』 『うわっ、感じワルっ……まいっか。デレクのルートはN32.46・W117.8からダラス経由でフロリダに抜けるコース。ブラックスター社のCEOがサンディエゴからプライベートジェット出してくれるってさ。気前のいいオジサンだよねぇ~』  会話の内容はわからないけれど、あまり楽しい話ではないらしい。ここまで一切の感情を見せなかった氷の男の表情に、少しだけ疲れの気配が漂った。 『君たちは?』 『僕とソウはN38.33・W121.28ルートで北上するよ。FBIにせっかくのハネムーンを邪魔されたくないからね。オレゴンで観光した後はベガスのカジノで少し遊んで、その後しばらく僕の家でゆっくりするつもりさ』 『港で日本警察とFBIが待ち構えてるってのにハネムーンだって? その無謀で軽率な行動を改めないと死ぬぞ、みたいに』  レンの穏やかな瞳に暗い影がよぎった。だがそれもほんの一瞬。軽く笑った後の笑顔には、一片の曇りもない。 『後悔しながら生きるなら、いっそやりたい事を思いっきりやって死ぬ……人生は楽しんだもん勝ち。それが僕のポリシーだから、プランを変えるつもりはない。ま、追われながらのハネムーンも悪くないさ。ソウと2人で愛の逃避行……なんかエロティックな感じで面白そうだろ?』 『……』  それまで無関心だった氷の男の視線が、いきなりこっちに流れてきた。ガラス玉みたいな瞳に、同情めいた気配があるのはなぜだろう? 「……え? 俺?」    自分を指さしながら、奏真はきょとんと氷の男を見返した。が、荷物を持った男はそのまま出入口に向かって歩き出す。慌てて奏真は呼び止めた。レンと逃げる手伝いをしてくれた彼にまだ礼も言ってないのだ。 「あっ、デレクさん待って下さい! 部屋に戻られるんですか?」 「デレクは一足先に出発するんだよ」  答えたのは振り返った氷の男ではなくレンだった。 「船上にヘリが待機してるから、それに乗ってデレクはサンディエゴ行きの貨物船に乗り換えるんだ」 「なんで? ロサンゼルスの港まで一緒に行くんじゃないのか?」 「違うよ。元々デレクはフロリダに向かう予定なの。新しい仕事が見つかって、マイアミに行く途中だったんだ。今回はわざわざ僕を手伝うために、日本に寄り道してくれたのさ。彼はこれからマイアミで……何するんだっけ?」  氷の男が面倒くさそうに答えた。
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