寝首

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「グガガガァ……グゴゴゴォ……兄者ぁ……(かたき)は取るからなぁ……グゴゴゴォ……」  響き渡る(いびき)の音に耐えきれず耳を塞ぎながら部屋の中に入ると、1人の蛮勇な漢が涎を垂らしながらうつぶせになって眠っていた。その横には大きな甕と小さな盃が空になってころんと転がっている。 「覚悟は、いいな?」  私は(ねずみ)の鳴くような小さな声でそう言い、隣にいる張達と目を合わせた。張達は深く頷く。舟の準備はすでに整っており、妻子も含めた一家は皆、私達が合流したら川を渡って呉の国へと落ち延びる手はずとなっている。  これは、私と張達、そして一家の者皆を守るための唯一の手段だ。私は自分自身にそう言い聞かせ、全身の震えを必死に抑えた。 「ふぬっ!」  私は思い切り剣を振り下ろす。主人(あるじ)の首は熱い血しぶきとともに刎ねられた。 「范疆(はんきょう)!急げ!もたもたしてると追っ手がくるぞ」  張達はそう言って私を急かす。私は頷き、首を腰の袋に入れて張達とともに川へと急いだ。  夜の河は空の闇を吸い取り、その闇を照らすたった一筋の松明(たいまつ)の火がその黒い河の水面を灯している。その小さな小さな灯りをたよりに、私達の舟は深い深い闇の中を手探りで進んでいく。  正しい道を進んでいるのかは分からない。しかし、もう後戻りはできない。私は全身に残る痛みをこらえながらただただ黒い河の向こうにある呉の国の方角を見据えていた。
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