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杏京郊外の、とある荒れた寺廟の庭。
住む者もなくうち捨てられた庭は、まわりに樹木が点在し、体を動かすにはほどよい広さであった。
夜陰に隠れるようにして訪れた薊花は、何者かの気配を感じて、姿を隠そうと、木の幹に身を寄せた。
唐突に、男の声がした。
「探したぞ」
同時に、首の左脇に、ドンと手をつかれて、薊花はビクッと身をすくめた。
「あ……」
「言ったはずだ、忘れぬぞ、と」
「抜け」
すごみのある声。
相手が誰だかわかった。
あの男。虚頼剣。
「丸腰です」
「そんな手には引っかからぬ」
薊花には敵意はない。
「本当に、持っていないのです」
相手にわからせようと、薊花は両手をあげる。
簪にも、手をのばさない。
「ならば確かめさせてもらう」
相手の手が、薊花の腰を左から半まわりし、右からも半まわり。
つづいて、胸のあたりにのびた。
反射的に薊花は、上にあげていた手を勢いよくふりおろし、相手の頭から頬にかけてを平手でたたいていた。
ギャッ、とも、グエッとも聞こえる声をあげて、相手が頬のあたりをさする。
「まさか、女?」
「女です」
薊花は、思い切りむっとした声を出す。
相手は、あぜんと立ちすくんでいる。
殺意が消えていた。
「まさか、嘘であろう。あの腕で、いや、すまん」
ばつが悪そうな声と思えなくもない。
相手は、剣をおさめた。
「名を聞いていいか?
俺は虚頼剣・桂涯」
「桂薊花」
双方ともに驚いただろう。同姓であった。
同姓は、血縁である、たとえ、どんなに遠く離れた関係であろうとも。
ことにそれは、虚頼剣のような無頼には、頼るべきつながりなのだろう。
「姐さん、と呼んでいいか。いや、勝手に呼ぶ」
「姐さん、すまなかった」
虚頼剣が頭を下げる。
薊花は、無言であった。
言葉が見つからなかっただけだ。
「これで帰らせてもらう。その気があったら来迎閣に来てくれ。
わびをさせてもらう」
そこそこ有名な料理店の名であった。
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