その日、彼女が死んだ

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 鈍くさく空気も読めないせいでいじめられそうになりがちな私がそれほど酷い目にあうこともなく学校生活を送れてきていたのは、そんな彼女が味方についていてくれていたからだと言って良い。  それだけに、その彼女自身が私につらく当たるようになり、それがいじめと呼んで差し支えの無いレベルまでエスカレートしていった時、私には絶望感しかなかった。  彼女に打ち勝つことはもちろん、うまく逃げ出すことだってきっと無理だ――そういう意識が、彼女と過ごした十年間のうちに、私の脳には刻み込まれていたのである。  もし仮に、私でも彼女から逃げ切れる方法があるとすれば、きっとそれは私自身が死ぬことだけだった。  しかし実際には、その踏ん切りもまたなかなかつかなかった。  小心者の私は、決行する前に自殺の方法について詳しく調べずにはいられなかったのだが、調べれば調べるほどに、どの方法も苦痛に満ちた怖ろしいものに思えてきたのだ。  生きて苦痛を味わい続けるのは嫌なくせに、死ぬ時の苦痛もやはり怖い。  そうして何も決められず、ただただ全てを保留にして日々をおくった。学校に行く度に今日帰ったら今度こそ死のうと思うのだが、帰っていざ準備を始めようとすると手が止まってしまう――その繰り返しだった。  そんな時、あの自殺デバイスの販売が告知されたのだ。  三年前の安楽死関連法成立以来、自殺用の安楽死装置はいくつか作られてきたが、そのほとんどは病院向けに販売されるものであり、治癒の見込みが無い末期の患者が担当医に依頼した時にのみ使われる類いのものだった。  そのため、コンビニなどで気軽に買って簡単に使える小型の自殺デバイスは物議をかもし、批判する有識者も多くいた。  しかし法に触れる点は見つからないということで、結局は予定通りに販売されることとなった。
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