その日、彼女が死んだ

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 帰宅すると、さっそくデバイスの電源をオンにした。  最初に表示されたのは、『自殺を決行する前に』という注意書きだった。『どんな人間にも価値はある』とか『あなたが死ねば悲しむ人がいる』といった自殺を思いとどまらせるためらしい空疎な文言が並べられてあり、悩み相談室や無料で利用できる法律相談所などの連絡先も載せられている。  おおかた、自殺デバイスに対する世論の反発を和らげるためのエクスキューズとしての必要性から書かれているのだろう。  こんなものを読んで心を動かされる人間なんて本当にいるのだろうか、と鼻白みながら画面をスクロールして長々と続くそれを読み飛ばしていくと、最後に『自殺を決行する』と表記されたボタンが出てきた。  それをクリックすると、ようやく『指紋認証装置に指を押しつけ、「私はこれから自殺します」と明瞭に発声してください』という表示が現れる。  指を乗せ、「私は」まで口にしたところで、不意に不安が胸をよぎった。  このデバイスはまず多幸感を生じさせる薬剤と苦痛の感覚を遮断する薬剤を注入し、その後で心停止を引き起こす薬剤を注入する。だから使用者は苦痛をいっさい感じることなく、それどころか幸福感に包まれながら死んでいくことができる――そういう触れ込みになっている。  だが、本当に?  使った人間が実はすさまじい苦痛を味わいながら死んでいったのだとしても、彼らはそれを訴えることなどできないのだ。  そう考えると、このデバイスは「確実に死なせる」という一点さえ達成していれば絶対にユーザーから文句をつけられることの無い製品であり、そうした製品を売るメーカー側に果たして誠実に作ろうというモチベーションがどの程度あるものなのか怪しく思えてくる。  どうしよう。本当にメーカーの売り文句を信じて、これを使ってしまって良いものなのだろうか……? 躊躇していると、デバイスがピーと電子音を立てた。  画面に目を落とすと、そこには「一定時間が経過したためタイムアウトしました」と表示されている。  私は、はぁーっ、と息をついた。  なんだか気が削がれてしまって、もう一度最初の画面からやり直す気持ちにはなれなかった。  まあ、べつに絶対に今日死なないといけないというわけでもないのだ。これさえあれば、いつだって好きな時に死ねるのだから。
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