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「メジャーリーグ級の蚊じゃねーかよ」
直也は貴絋の顔を見ない。安い洗濯機の轟音だけがその場に響いている。しばらく無言の空間が続いた後、ようやく直也が口を開いた。
「……誰にも、言わないで欲しいんだ」
やっときこえるくらいの声でそう言った。そう言われれば貴絋はそうする。面白おかしく言いふらすつもりなど毛頭ない。しかしこれは明らかに異常なことだった。ここで引き下がっていいのだろうかという気持ちが否応なしに沸いてくる。だけどきっと自分が直也の立場なら、他者の介入を煩わしく感じるとも思った。
「なんで。蚊に刺されたのが、人に言えねーことなのか」
「……辻くんには関係ないことだろ」
その言葉を聞いて、貴絋はこれ以上詮索するのをやめた。少しでも何かのサインを感じとることができれば力を貸してやっても良かったが、はっきり拒絶されては何をしても無駄だと理解したからだった。
「服、洗濯した。これ貸す」
貴絋は自分がTシャツの上に着ていたボタンつきのシャツを渡してから、その部屋を出た。
その日以来直也の姿を見れば、痛々しい彼の体のアザが鮮烈に記憶から呼び起こされる。
誰かに殴られたのか?
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