信玄餅

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 死を覚悟するつもりはなかった。ただ、明らかに力の差というものは存在していて、それは火を見るよりも明らかだ。護身術も知らない小学生が、体格のよい成人になど勝てるはずもない。  ――そもそも……こいつからは常識が通じない匂いがプンプンする。  男が放つ殺気と右手に握られたバットを見て、貴紘は「自分はここで死ぬ」と直感した。しかし一発くらい食らわせないと気がすまない。貴紘は傘の柄を両手で握りしめると、沸騰しそうな頭で必死に考えた。どうやったら、この男を止められるんだろう? 「こんな晴れの日に大層な雨傘持って。最初からやる気マンマンじゃん。おー恐い。お前のような気の強い子供の泣いて許しを請う姿がスッゲー笑えるんだよね。……動画撮って上げてやるから楽しみにしてな、正義のヒーローくん!」  貴紘が最後に見たのは、そう言ってバットを振り上げた男の姿だった。それを見て反射的に目を閉じてしまう。  ――あ、バカだ俺。こんな人間のクズを攻撃することさえ、スゲー覚悟がいるんだ。人を傷つけるって、めちゃくちゃ精神削らなきゃできないコトなんだ……。  同時に思い知る、そんな事をいとも簡単に出来るこいつらはきっとどうかしている。  誰かを本気で殴ったこともない貴絋は、自分の考えが甘かったと悟った。  ――信玄餅が食べたかった。     
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