3「教室の男」

3/5

0人が本棚に入れています
本棚に追加
/68ページ
 そういや、まだ中をよく確認していなかった。散らばった文房具を腕で払い、ドリルのつるつるした紙面に並んだ数式の上に辞書を置いた。ドン、という音が、僕の思考をさらに辞書に集中させる。きっと、もう宿題には戻れない。それに少し遅れて「受験生なのに」と、自分の中の誰かがささやく。  とりあえず今は辞書だ。胸を締め付ける鎖をふりほどくように、僕は辞書の向きを変えて、側面を上にした。紙が何枚も重なっていて、少しだけインクの香りがする。辞書といっても、少し厚い単行本くらいの厚さだ。よくある五十音の各行を分ける印は無く、無愛想な感じがした。  とりあえず、真ん中辺りのページを開いてみた。文字で埋め尽くされた辞書の中身が露わになる。ページの右上の言葉は、「月」だった。 月【つき】   晴れた夜空にぽつりと見える星。満月とか新月とかになる。それと、一月とか二月とかの意味もある。  これは普通の辞書ではない。語釈を読んだ途端、そう思った。辞書特有の堅苦しいイメージからかけ離れた、やけ軽い文章だ。それまで見ていた言葉の森が、急にその色を変える。  隣の言葉は、「突き」。 突き【つき】  手とか棒とかを、人の体に直線的に当てる攻撃。多分、あまり効かない。  次は、「尽き」 尽き【つき】  何かが無くなったりすること。そろそろボールペンのインクが尽きそう。  ボールペンのインクが尽きそう。この文章によって、僕がこれまで抱いていたイメージが粉々に砕け散った。これが国語辞典として使える物ではない事は確かだ。     
/68ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加