3「教室の男」

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『吉田広樹君の好きなものとかって知らない?』  常識には考えられないことだ。そもそも、そんな事が現実に起こりうるはずがない。でも、この辞書の「吉田広樹」が、僕達の同級生の「吉田広樹」だったら。そうして、彼の考えに基づいて語釈が並べられているのだとしたら。  これは例えばの話だけど、もしそうだったとしたら、同級生の吉田広樹の「好きなもの」を辞書で引けば、それ相応の語釈がこの辞書には用意されているに違いない。文の中に「好き」や「お気に入り」みたいな、好意を示す単語が入っていれば、吉田広樹はそれが「好き」なんだと読者は分かる。そうしたら、この辞書の「吉田広樹」が僕達の同級生である可能性が、一気に跳ね上がる。  木村からの返信はすぐに帰ってきた。 『ごめん、覚えてないわw』  そりゃそうか。それなら、明日まさとに直接聞いてみよう。そう思って、キーボードを開いた時だった。 『あ、そういや帰宅部らしい』  帰宅部。「好きなもの」ではないが、十分手がかりとなる単語だった。 『ありがと』  短い返事を送って、僕はさっそく辞書を手に取った。その後すぐに通知音が鳴ったが、それを確認する心の余裕は無かった。天から垂れ下がっている細い糸を、今掴もうとしている。  帰宅部みたいな固有名詞は普通、学生が使うような小さい国語辞典には載っていない。だけど、この辞書にはその三文字が他の言葉と同じように載っていた。 帰宅部【きたくぶ】  部活の一つ。運動部でも、文化部でもない。別に、必ず家に帰らなくてはいけないという訳ではないので、放課後教室に残ることもできる。  一筋の細い光が、脳内を貫いた。  頭の中で、一人の人物が浮かぶ。  スマホのホームボタンを押すと、木村がくれた『おう』の二文字が小さな通知の枠におさまっていた。  LINEを開いて、もうスマホの電源を切っているであろう木村に返信を送る。 『多分その人知ってるかも』
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