悲しみのそばに

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 もしも、男の待っていた相手が本当にここへ来ていたなら、何かが違ったのだろうか。死神は、誰もいなくなった無音の部屋を見渡しながら、ふとそんなことを思った。枯れ果てたように空っぽで、時すらも止まってしまったような室内。その様子が、抜け殻となった男の遺骸と重なって見えて、まるで世界の一部が死を迎えたようにすら思えたのだ。 ――そう、ここには何もない。何も残ってはいない。  死神はその時、ようやく自身の内に芽生えた疼きの正体を知った。  この男の周りには、確かに嘆きや悲しみといった暗く冷たい影は存在しない。しかしそれと同時に、愛情や敬慕の念といった明るく温かい光もまた存在していないのだ。一切の繋がりを絶たれ、継がれるものも紡がれるものもなく、男の存在は無の中へと沈んでしまった。それは、死以上の喪失。あるいは、それこそが人にとっての、本当の死というものなのかも知れない。  生と死は表裏一体。そのことの意味が、死神は少しだけ分かった気がした。  しばらくして、死神は男の部屋を後にする。その際、男の家の戸を全て開け放ち、枯れた花の入った花瓶をわざと落としていった。ガチャンと大きな音がして、隣人が異変に気付くと、徐々に近隣の人々も集まり始め、軽い騒ぎになる。死神はそれを、高い空から眺めていた。  人が死を恐れ悲しむのは、そこに愛があるからだ。虚ろであることが何よりも悲惨なら、時に痛みさえも必要なものであり、愛しいものなのかも知れない。そんなことを考えながら、死神は青空へ溶けるように消えた。
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