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道具に主権はない。
その存在が理由なのではなく、目的が存在価値を創造するのだ。
人間も同様である。
ただ、呼吸し、吸収し、排せつする活動に意味はない。
人間が社会の道具として他者に運用されるとき、初めて個人の付加価値が発生する。
その時、人は不満を抱くのだろう。道具として生きる人生に価値はあるのだろうか、と。
残念ながら万人を満足させる正解はない。
中世ヨーロッパにある哲学者がいた。彼は生涯を費やして人生の意義を問うた。
その甲斐があって一つの結論に達した。
それと同時に彼は日本海溝よりも深い陥穽に嵌まり込んだ。
人生論に寿命を空費することこそが、この世に生を受けた意味だったのだ。
私はつくづく思う。
彼は知らなければよかった。哲学者という職業さえ知らなければ、生涯苦しむことはなかっただろう。
天使がしあわせでいられるのは、何も知らないからだ。
生まれたての赤ん坊は穢れを知らない。
いや、ちょっと待ってほしい。純粋無垢が善であると誰が定めたのだろう。
神か?
いや、人間の宗教家だ。
彼らは間違っている。物事を突き詰めるならば大自然の意志に立ち返って思考せねばならない。
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