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人生初詣
1月1日の夕方、岡喜助はぶらぶら外を歩いていた。ただ、元旦のめでたい日だから外を歩いていた訳では決してない。夕方ぶらぶらと近所を歩くのが日課なのだ。ただそれだけだ。正月だろうと、地球滅亡の日だろうとやりたいことをやっているだけだった。散歩をしていると何も考えず、ひたすら歩いていられるので、気持ちが良かったのだ。もうすぐで30歳。働かずにずっと実家にいる生活を続けていたが、さすがに危機感を覚えてきた。
このままでいいのか?
将来はどうする?
生きている意味ってなんだ?
とにかく今までに感じたことのない焦りが最近あった。働かなければ、と思いながらも行動には移せない。
どうすればいいのだろう。
そんなことを考えて歩いていると、近所のネヲキ神社が目に入った。ネヲキ神社とは、何の特徴もない地元の小さな神社だ。正確な由来はわからないが、地元ではこの神社には“寝起き”の神様がいて、寝ぼけている時にみんなの願いを聞いているから、ネヲキ神社で願いを言っても全然願いが叶わないと昔から噂された寂れた神社だ。
ちらほら初詣に来ている人がいた。まあ、正月なのに参拝客が数えるほどしかないのか、と捉えるのか。それとも、こんな小さな神社に参拝に来てくれる人がいるのか、と捉えるべきか。岡喜助には計り知れなかった。また、岡喜助には正月に初詣に行く人の気持ちが理解出来なかった。毎日、毎日、神社に行き、神様にお願いをしているのならいいが、1月1日のたった1日だけ神社に来て、ちょちょっとお願いをして帰る。それで願いを叶えろ?俺が神様なら絶対そんな奴の願いは叶えない。最後の最後の後回しにする。そりゃそうだろう。1月1日にはそれでなくても、数多くの人がお願いをしに来る。それを一件一件聞くだけでもノイローゼになる。だから、正月のみの初詣は意味が無いと考えていた。困ったときの神頼み、馬鹿なことを言うな。これほど意味の無いものはないだろう。
と、いう考えなのだが、今は僅かな可能性にもすがりたい思いだった。仕事にも就いていない状況で、将来に不安しかなかった。なにか寄り添えるものが欲しくてたまらなかった。
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