凡ては彼女の為に

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からんころん、からんころん 暗がりの中で何か光がこちらにゆっくりと近づいていることに気がついた。じっと目を凝らすとただの軍警だった。 礼をして通り過ぎようとすると、 「一寸、そこの君。」 と聞かれたので立ち止まり、 「はい、何でしょう。」 丁寧に応えた。 「こんな夜遅くに何をしていたんだ。」 これは、俗に云う"職質"だろう。 「いやはや貴方、光栄にお思いください。愛に生きた男と女をたった今目にしていらっしゃるのですから。」と言いたいのをぐっと堪えて質問に答える。 「彼女と知人の家で呑んでおりました。彼女が潰れてしまいお開きになったので、今から帰るところなのです。」 我ながら、名演技であ。ここが劇場なら拍手喝采が贈られることでしょう! まあ、事実であることに変わりはない。 さあ、どうだ。 「嗚呼、そうか。気を付けて帰れ」 ちょろいもので笑顔を貼り付け 「はい、ありがとうございます。お勤めご苦労様です。」 一丁上がり。私の手に掛かればお茶の子さいさいなのだ。流石は全て完璧に熟せる男。どんな女も私を放ってはおけないだろう。従って、彼女に愛されない筈が無いのである! 家路につく。 からんころんと下駄がまた鳴り響く。 下宿の門を開き彼女を降ろした。ここから出ていく準備をしなければならないのだ。 下宿の女将さんには知られてはならない。何故なら私と彼女の幸せの為。少しばかり後ろめたいのだが、そればかりは仕方が無い。許してくださる筈だ。そう。全ては彼女の為なのだ。 物は最低限に抑える。 ふと何かが動く音がした。顔を上げずに目を音のする方へ向けると。愛らしい顔をした彼女。 目を醒ました彼女が私を驚かそうとしていた。私は態と気が付かない振りをする。 私に抱きつこうとしているのだろう。貴女の其の行動を心から待っていた。うっかり小躍りしそうになる。 徐々に暗くなっていく手元。柔らかい感触を背中に感じる瞬間を心して待った。 衣擦れの音がした。「来るぞ」と思った瞬間に来たのは、彼女の柔らかい胸の感触でもなく、頭に重いものを殴りつけられた感触。一度、二度、三度。段々に低く暗くなっていく視界。目に映ったのは彼女が文鎮を手にし、頬を紅潮させて肩を上下させた姿だった。 なんて美しい!! そして。 嗚呼、私も此処迄か。全て貴女の為にしたのに。 「全ては、貴女の為。」
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