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人間を魔物の世界から、聖域から追い返したとして、問題はその後。
……聖域の壁が再生するまで、ひと月は余裕を見ておかねばならないという話だからな。
歴代のフルドラの塔の管理者たちが強化してきた今の壁の強度に戻すには、それこそ同じだけの年月がかかるだろう。だがそれ以前に、壁その物を壁の形に戻すまでに最低ひと月はかかるはずだと、エヘカトルとシジフスが言っていたのである。
……二百年前に現在の壁を創った王妃ネルサスは、その壁を創り終えると同時に他界したというからな。
元々、ネルサスは魔法を使うことに長けていたという。それでもあの聖域が出来上がるまでに一年以上の月日をかけ、壁が出来上がると同時に糸が切れたように命を落としたということだ。今回はエヘカトルとシジフスに加え、ウートもまた力を貸すことが出来るわけだが、最速で再生出来たとしてひと月、上手くいかなければそれこそ半年以上の月日をかけることになるかもしれない。その間に、人間たちがまた魔物の世界へと攻め込んで来ないとも限らないのである。
……絶対に来るかは分からないが、絶対に来ないとも言えない。
ウートが今手配しているのは、そうした事態を想定しての準備であった。
塔の廊下に等間隔に開いた窓から、赤い光が差し込んでくる。日が傾くのが早い季節になった。じき辺りは薄暗くなっていくことだろう。
明日は朝から忙しくなることが目に見えている。今日はなるべく早く休み、備えておくに越したことはないだろう。そんなことを考えていた時だった。
「陛下」と、自分を呼ぶ声がして、ウートとフィリスは後ろを振り返った。
今しがたウートたちが歩いて来た廊下を、同じように、それでいて少しだけ足早にこちらに向かってきたのは、フィリスとよく似た軍服を身に纏った、茶色い短髪の、端正な面持ちの男であった。美丈夫、という言い方が相応しい彼の背には、真っ白な翼が生えている。
「ボレアスか」と、ウートは彼に呼びかけた。ボレアスと名を呼ばれたその男は、ウートたちの目の前まで歩み寄ると、素早い動作で敬礼し、そのまま口を開いた。
「このような所で声をかけるご無礼をお許しください。部下たちから聞いた話に、少々お聞きしたい点がありましたので、その真意をお教え願いたく」
先日五十という年齢に達したという彼は、ウートとも親交の深い少女、ミネルヴァの父親である。
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