狭間の日々

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 大昔、そこはニース火山と呼ばれる巨大な火山だったと言われている。ある時それが噴火して、溶岩を吐き出し、くぼみ落ちて出来た盆地が今の魔物世界なのであった。 「見て、ウート様よ!相変わらずお美しいわぁ」 「しっ。お忍びでいらっしゃっているのだから、声を出してお名前を呼んではダメよ!見ていないフリをしないと」  魔物の世界の中央にそびえ立つ魔王城の周りに広がる城下町に、一人の青年が歩いていた。来ているものは商家の者が着るような一般的な衣装なのだが、青年が身に着けると途端に質の良い高級品に見えるから不思議な物である。  年の頃は二十歳前後。濡れたような長い黒髪を靡かせる彼の容貌はあまりに美しく、大輪の華のようで、それでいて湖面の波紋の様な冷たさを宿していた。耳の上にぐるりと巻いた角と、背に流れた大きな翼以外は、まるで人間の様な彼は、隠しても無駄であるというように被り物をするわけでもなく、堂々と城下町を闊歩していた。 「こういう時に、城下町に住んでいて良かったって思うわね」 「本当。他の地域にいたら、こうはいかないもの。魔王様の臣下の方々のご令嬢たちでさえ、あまりお会いになれないそうよ」 「もしかしたら私たちの方がお目にかかっている回数は多いかも!」  お忍びと言うには堂々とし過ぎているような、魔王の子息、ウートの姿に、町の娘たちはひそひそと声を潜めながら視線だけを彼の方へと向ける。次期魔王という立場もさることながら、その容貌の美しさはすでに魔物の世界の誰もが知っている所で。彼が町を歩けば、娘たちはどうにかして彼の目に留まれないものかと色めき立つのであった。 「けど、もう二十歳になられたのよね。もうお相手がいるのかしら」 「さあ。魔王城の方々の話は大抵この城下町に流れてくるけれど、ウート様だけは何も聞こえてこないもの。それだけ徹底して隠しておられるのかしら」  魔物の世界では、二十歳になれば結婚が認められている。貴族や魔王の一族などは、大抵それよりも早い時期に婚約者が決まっているもので、城下町にはそんな話が流れてくることも少なくないのだけれど。  美貌の次期魔王、ウートの浮いた話だけは、どれだけ耳を澄ませても聞こえてこないのだった。 「まあ、相当美しい方じゃないと、認められないわよね」 「確かに」  視線の先の美貌の次期魔王を見つめながら、娘たちは溜息を吐くのであった。
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