第1章

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 桐谷は見えない相手に対して後退った。ここで走って逃げなかった自分を褒めたいくらいだ。  「肝?」  自称神はさっき桐谷が聞いたのと同じような口調で返した。 ***  この世における神というのは幽霊に似たものだ、と桐谷は解釈した。  自称神曰く、憑いている今ならば『神様助けてください』という祈りが聞き届けられ、その超常的な力で助けてくれるらしい。神自身、意識みたいなものがあまり無いのでよく分からないと言うが、桐谷の方がもっと理解し難かった。何故桐谷に憑いているのか? という問いにも「さあ?」で終わりだった。  前は桐谷の母に憑いていたらしく、その事は少しだけ覚えているらしい。母は助けを求めなかった。歯痒い思いをしたと、神は言った。  祈れば母は救われた? 桐谷は馬鹿馬鹿しさに鼻を鳴らしただけだった。神頼みで本当に救われるなら人が生きる意味なんて無くなってしまう。母の死をそんな些細な事のように扱われ、桐谷は憤りしか覚えなかった。絶対に祈ってなんてやるものかと意志を固くしただけだった。  姿無き神は今やただのBGMになっていた。何かと桐谷に話し掛けてくるのだ。今日はいい天気だな、寒いな、さつまいもが美味しそうだ、など平日昼間に流れるラジオ番組のごとくのんびり喋った。  しわがれた声は不快だったが、店内放送だと思えば気にならなくなっていった。桐谷は神の言葉に返事はしない。ただ聞き流していくだけだ。神も一方的に言いたいだけのようで会話を期待していないらしい。  「ほー。賑やかだなぁ」  華やかな電飾が商店街を照らしていた。いつもは寂れているが、クリスマスが近くなるとこぞって店頭を飾り立てるのでこの時期だけは賑やかだった。人は少ないがその分ちらつく光がとてもよく見える。余計に物悲しさを助長するような風景だったが桐谷は嫌いじゃなかった。  桐谷は母が亡くなってから勤めていた会社を辞め、実家の農業を手伝いながら殆ど主婦のように日々を過ごしている。家事をして、畑に行って、言葉少なな父の世話をする。それで一日が終わり明日も終わるのだろう。  神がぼんやりと呟く言葉を聞き流しながら桐谷も『そうだね』とこっそり心で呟き返したりする。  幼いころから大人しく友人の少ない桐谷は、今も、そう呼べる者がいない。今ここにいる神もまるで妄想のように思えてきたが少なくとも寂しさは感じなくなっていた。
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