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「ハァ?! じゃあ折れてたらどうすんのよ! 責任とってくれるの!? 私にはね、弁護士の友達だっているんだから、この状況見たらどっちが悪いかなんてすーぐ分かるのよ!」
「どう見たってアンタが悪いだろがババア! お前の太い大根足がどうやったら折れるか教えてもらおうじゃねえの! あぁ!?」
「うるっさい!!」
中年女性は黙った。神も黙った。桐谷は遅れてきた恥ずかしさで顔を赤くした。やがて近くの店の若い店員が出てきて桐谷たちを助け起こした。
八百屋の店員は店の奥に引っ込んでて騒ぎに気付いていないらしい。結局最後まで現れることは無かった。
桐谷たちを助けた店員は何故かしきりに頭を下げ、厄介ごとには巻き込まれたくないとばかりに素早く店に戻ってしまった。
「いい兄ちゃんじゃねえの。愛想は無いがな。おいババア! 何か言ったらどうだよおいっ!」
当然何も聞こえない中年女性は、文句あり気な顔のまま無言で立ち去ってしまった。桐谷も、何も言えなかった。
「なんだねあのババアは。一言も謝りゃしない。お前もこういう時は助けを求めんと駄目だぞ」
関係ないでしょ。桐谷は言いたかったが呑み込んだ。
***
心臓が暴れて目覚めた。桐谷は飛び起きて、意識を整えるのに時間を掛けた。
嫌な夢を見たのだ。どんな夢かは思い出せない。
「驚いたなぁ。どうした? 怖い夢でも見たか」
桐谷はその声のお陰で気持ちが落ち着いた。それでも感謝はしない。したくなかった。
今日は仕事は休みだった。父が珍しくどこかへ出かけようと言うので付き合うつもりだった。父と桐谷はそこまで仲が良いのでもないが、たまに少し遠くまで足を伸ばして、ショッピングモールやら寂れた観光地へ行く。そして二人揃って何も言わずに歩き回るだけの行事が年に何度かあるのだ。母が亡くなってから始まったもので、今回のもそれだろう。
「父ちゃんと出掛けるのかぁ。いいな。楽しめよ」
懐かしそうな響きがあったので桐谷は疑問に感じたが普段通り何も返さなかった。
父の「行くか」を合図に車に乗り込んだ。古い、鼠色の軽自動車だ。以前母が駐車に失敗して凹ませた部分もそのまま残っている。きっとこの先も直すことは無い。
桐谷が助手席に乗り込むと、車はゆっくりと発車した。行き先はいつも父次第だ。着くまで分からないのでそれが桐谷にとっての楽しみでもある。
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