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「何だと、このクソババ猫が」
「誰がババアか、この洟垂れが」
「ババアだなんて言ってねぇだろ、『クソ』と『猫』が抜けてるぜ。遂に年相応に耳が遠くなったのかよ」
直後、ある種低レベルな言い争いにピリオドを打とうというかのように、何かを叩き付けるような派手な音が店内に響いた。
二人が同時に視線を向けた先には、女性と思える人物が一人、うずくまって落下の衝撃に震えている。
「……臨休の予定だったのに」
「仕方ない。店に誰かがいれば、転送された魂は割り振られる仕組みだからな。雨月よ、仕事だ」
「言われなくても」
はあっ、と重い溜息と共に、雨月は女性に歩み寄った。
「大丈夫ですか?」
ビジネスモードに口調を切り替え、女性に手を差し伸べる。
しかし、いつも来る自殺未遂者と同じように、この女性も打撃による痛みを堪えるので精一杯らしい。『大丈夫じゃない!』を代弁するかのように、彼女の掌が床をバンバンと叩いた。
「では失礼いたします」
断りを入れた雨月は、女性の身体をヒョイと抱え上げる。瞬間、彼女を取り落としそうになった。
他方、突然抱き上げられた女性のほうは、驚きで痛みを忘れたのか、やはり目を見開いている。
「――……あの……」
雨月の驚愕の表情とやや長過ぎる沈黙に、女性は訝しげに小首を傾げた。だが、雨月のほうは彼女の反応に頓着する余裕はない。
「……春風……」
無意識に口から滑り出たのは――死した時から決して忘れることのできない名前だった。
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