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Case.4-2 傷跡
『俺の仕事場は、どこになるんです、はるかぜお嬢様』
『わざとなの!? ハズレよ、あたしの名前はハルカ!』
初めて会ったあの日の第一印象は、正直言ってよくはなかった。
彼女は、バラの花弁のような艶やかな唇を、思い切り尖らせて続けたものだ。
『春生まれで、名付けの日に爽やかな風が吹いてたから“春風”って書いてハルカって読ませるって言うのよ。由来が笑っちゃうくらい安直な割に、だーれも最初から正しく読んでくれないんだもの、呆れちゃうわ』
***
「――ねぇ。誰と勘違いしてんの?」
訝しげな声が返って来て、雨月は我に返る。
改めて見下ろした女性は、『春風』と同じ、ぱっちりとした大きな瞳で、不機嫌そうに雨月を見つめていた。
「あたしの名前は桃木野明日風! それにいい加減下ろしてくんない?」
桜の花弁のような唇が、その匂やかさとはそぐわない、キンと尖った声を立てる。
雨月も境域に来て長いが――それはもう、『長い』などという一言では収まり切らないくらいの長い年月だが――、この喫茶店に落ち込んで来て、物怖じもせずいきなりキャンキャン騒ぐ相手には初めて会った。
「あ、ああ……」
戸惑ったような声で、「ホントに下ろして平気か?」と念の為訊ねる。どうにも、春風とそっくりな相手に、普段通りに仮面を付けての『接客』はできなかった。
問われて気付いたのか、春風――もとい、明日風は、目を瞬くと、おっかなびっくり、半ば雨月にしがみつくようにしながら、そっと足を下ろす。
膝が笑わないのを確認して、慎重に雨月から手を離した。ストレートの長い黒髪が、俯いた彼女の肩を滑る。
ホッと息を吐いたように見えた明日風は、すぐ傍にあったテーブルの前の椅子に腰を落とした。彼女の挙動に釣られるように、身に着けたベージュのフレアースカートの裾が翻る。
彼女はテーブルに肩肘を突くと、改めて雨月を睨み上げた。
「前の人と違うみたいだから、自己紹介してくれる?」
「は?」
「ここも境域なんでしょ? 死神サン」
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