3人が本棚に入れています
本棚に追加
「あ、振ってきちゃった」
ぽつっと顔に一滴が落ちて、留美は内心舌打ちした。せっかく洗濯ものを干して来たのに。早く帰ったら、なんとかぬらさずに取りこめるかもしれない。
おまけに今日は金曜日だ。保育園に通う、息子の天斗を迎えにいくと、やはり保育士から子ども用布団を手渡された。毎週持ち帰って家で干して来なければならない。どうせ持って帰ったって、梅雨だから干せないのに。
もう何に対してかも分からない怒りを感じながら、天斗にカッパを着せて、布団を背負い家へと急いだ。
「わあ、雨だ雨だ」
降り始めた雨に、天斗ははしゃぐ。
「もうっ。早く帰るよ」
濡れていく洗濯ものを思って思わず声が荒くなる。
「あらあら、元気な坊や」
穏やかな声に振り返ると、軒先におばあさんが出ていた。植木の世話をしていたようだ。
「お恥ずかしいです」
小言でも言われるのかな、とうんざりして顔をそむけた。よく年配の人は、子育てにあれこれ知ったような口をきいてくる。
パチンパチン、と音がして、おばあさんが「これよかったら」と何かを差し出して来た。
きれいな紫色のあじさい二輪だった。
「お母さん、がんばってるわね。大変よね」
おばあさんはあじさいをくるっと新聞紙で茎の端を包むと、手渡してくれた。母親になってから、誰かから花をもらうなんてこと、あっただろうか。子どもではなくて、自分のことを、このおばあさんは見てくれた。
「今だけだからね」
おばあさんは優しくそう言う。
「ありがとうございます……」
あじさいの紫色を見ていると、不思議といらだった気分が落ち着いていった。
最初のコメントを投稿しよう!