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「仕事……」
ボソリと呟くとまゆみが何かを察したように肩を叩いた。
「大丈夫よ、職場の方にはしばらく休むって言ってあるわ。それよりもあんた、前も体調悪くて休んでたって聞いたんだけど…」
まゆみが伺うようにこちらを見てくる。
しかし、斗羽はその話さえ身に覚えがなく困惑した。
一体どうしてしまったんだろう。
こんな事が現実にあるんだろうか。
自分の名前や家族の名前、顔や誕生日などははっきりと覚えている。
どこで育ったか、どこの高校へ通って大学がどこだったかも。
卒業して、仕事のために移り住んだ街の名前もはっきりと覚えているし、住所だってわかる。
それなのに、職場、職種、そこに携わっていたであろう人の名前や顔は一切思い出せないのだ。
まさか、そんな事あるはずがない。
きっとすぐに思い出せる。
背筋をひやりとしたものが伝わっていく気がしたが、斗羽は母親に精一杯の笑みを浮かべて見せた。
「……ごめん、何だか母さんに言うのもカッコ悪くて」
そう言うとまゆみはやれやれと言わんばかりに肩を竦めた。
「まぁ、あんたも世間の波に揉まれたって事にしておくわ。ねぇ、それよりあんたいつからあんなイケメンの友達ができたの?」
「……友達?」
「あんたが運ばれてここに入院してる事わざわざ電話して教えてくれたのよ。あんな素敵な人がいるってわかってたらもう少しましな格好してきたのに…」
まゆみはそう言うと、病室の扉の方を見た。
「たぶん外にいると思うわよ。あんた、三日くらい意識なくて、私が来るまでの間ずっとお友達が付き添ってくれてたみたい。いいイケメンの友達ができて良かったわね」
まゆみの屈託のない笑顔に、斗羽も笑みを返してみせる。
しかし、その『友達』の顔や名前も全く思い出せないのだった。
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