忘却のマゾヒスト

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何が起こっているのか分からなかった。 唇に触れているのは確かに彼の唇で… でもどうして男の自分がキスをされているのか分からない。 しかしそれよりもっと驚いたのは、それが嫌ではなかったことだった。 触れるだけの唇がそっと離れていくと、またぎゅっと抱きしめられた。 それでもやっぱり嫌ではなくて、むしろそうされて嬉しいと思っている自分がいる。 どうしてだろう。 常識で考えれば、彼のような男らしくてかっこいい人が自分を好きになるはずなんてない。 それなのに、矢田の告白は驚くほど胸にストンと落ちてきた。 ぽっかりと空いていた心の穴をすっぽりと埋めるかのように。 「嫌だった?」 低い声で囁かれて、また心臓が跳ね上がりそうになった。 「あの…」 何と答えていいか分からずに、口籠もっていると顎を掬われて上を向かされる。 眩しいものでも見るかのように目を細めた矢田と視線が絡んで、斗羽は息を呑んだ。 「嫌?」 改めて訊ねられて、斗羽は真っ赤になりながら視線を彷徨わせた。 ずるい。 そんな顔で見られたら、嫌とは言えない。 「嫌じゃな…んんっ」 答え終わる前にまた唇を塞がれていた。 今度は中途半端に開いていた隙間から肉厚な舌が這入り込んできて、斗羽のそれにねっとりと絡みついてきた。 交わる熱い吐息と唾液。 歯列をなぞられ、粘膜を蹂躙され、時折唇に吸い付かれて、またねっとりと舌を絡めとられる。 濃厚で濃密な口付けは角度を変える度に深くなり、次第に火がついたかのように激しく貪られはじめた。 キスの合間に「好きだ」と何度も囁かれて、まるで酩酊しているかのような気持ちになる。 身体は燃えるように熱くなり、膝は震え、立っていられなくなった。 「おっと」 がくんと膝から折れた斗羽を矢田は軽々と片手で支えると苦笑を浮かべた。 「軽っ、やっぱ食ってねぇな」 悪戯っぽく囁く唇がしっとりと濡れている。 斗羽はいつの間にか彼の首に腕をまわして、「もっと」と強請っていた。 身体中が矢田を欲していた。
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