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言ってしまった後でハッと我に返った。
違う。本心はそう思っていない。
音成にも矢田にもどこにも行ってほしくない。
誰にもとられたくない。
自分だけをずっと見てほしい。
明日も明後日も、できる事なら一生そばにいてほしいとさえ思っている。
けれどそれは斗羽の勝手な我が儘であり、現実的には難しい事だ。
二人は優秀だ。
あんな優秀で才能ある人間を世間が放っておくはずがない。
そんな二人が自分のような何の取り柄もなく平凡な…ましてや男と関係を持っていると知られたら彼らの世間体を悪くするだけだ。
斗羽はどう転んでも男であって、それが世間一般に認められる仲でもない。
ましてや斗羽にはふたりの子孫を残す事さえもできないのだ。
音成や矢田の遺伝子を持つ子はきっと優秀だろう。
今日、矢田が尾野と並ぶ姿を見て嫌というほどわかった。
普通に結婚して、普通に子どもを作って普通の家庭を持つ事がどれほど幸せな事か。
それは斗羽がどう足掻いても叶えられないものだ。
そう考えると、どこかでこの関係にもいつか終わりが来る事を覚悟しなければならないのだ。
二人が大切で幸せになってほしいから。
「とにかく乗れ」
矢田はそう言うと、斗羽の腕を掴み車へと引っ張っていく。
「やっ…離してくださいっ…」
思いとは反対の事を言ってしまう苦しさに胸が張り裂けそうになる。必死に抵抗を試みるが、ズルズルと半ば引摺られるようにして助手席に乗せられた。
運転席に乗り込んできた矢田が最後の抵抗として無視していたシートベルトをするよう促してくる。
しかし斗羽も意地を張るように唇を結び顔を逸らした。
「頼むからこれ以上俺を怒らせるな」
ピリピリとした空気が車内を息苦しい場所に変えていく。
「…矢田さんと話す事なんかない」
震えてしまいそうになる声で何とか振り絞る。
「そうか……なら覚悟するんだな」
矢田はそう言うと、センターコンソールを越えて斗羽のシートベルトを締めた。
ほんの一瞬視線が絡む。
その眼に宿る静かな怒りの炎に背筋が凍りついた。
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