1 娘

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 新しい翠簾が風に揺れ、青い匂いをまき散らす中、部屋では屋敷の主人であるマサキと娘のクチナシが言い争っている。 「絶対いやです。いくら皇太子候補でも」 「そういうな。彼に見初められて嫌だという娘はお前くらいだぞ。もう少し落ち着いてよく考えなさい。他の姫たちはもう嫁いでいるのに……。これ以上のところは望めないのだぞ」 「嫌だったら嫌です!」 「こ、こらっ」  クチナシはまだまだ説教が足らないといったふうのマサキをその場に残し、すっと立ち上がって部屋を出る。 「どこで見られたのかしら。先日の花見に出かけたときかしら。殿方に姿を見られるようなことは決してなかったと思うけど」  磨かれた廊下の真ん中を悠然と歩いていると、何やらがやがやと使用人が騒いでいるのが聞こえた。庭を挟んだ使用人の宿舎に人だかりと女のすすり泣きが聞こえる。  庭の手入れをしている一人の使用人に声を掛ける。 「これ、何を騒いでるの?」 「え、ああ姫様。飯炊き女が亡くなったのです。今から埋葬するところです。ご主人様にはさっきお伝えしたところです」 「そうなの。気の毒に。あの者は?」 「ああ、死んだ女の娘です」 「他に身内はいないの?」 「ええ、母娘二人きりでしたからねえ」 「ふーん」  泣いている娘は使用人の割に凛とした美しさをもち、更には顔立ちが自分と似ていることに気が付いた。薄汚れた着物と顔を押さえている手はあかぎれ、貧相な様子だが汚れを落とし磨けばなかなかの器量になるだろう。 「身内はいないのね。ふ、ん。あの娘に埋葬が終わったらあたくしのところへくるように申し付けて」 「えっ。姫様のところにですか」 「ああ。明日でも良いわ」 「へ、へい」  板に乗せられむしろをかぶされた亡骸が運ばれていく。そのあとを顔面蒼白な娘がよろよろとついて行く。そんな様子を眺めながら自分の思惑に少し胸が痛んだが、これから孤独になる娘にとっても悪いことにはなるまいと、踵を返し自室へ戻った。
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