遺言状

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 かといって中学校が最終学歴だとそうそう、仕事があるわけでもない、できる仕事は肉体労働だった。  でも、がむしゃらに働いた、怒りを原動力に、礼子へ当てつけるように見返してやろうと一生懸命に働いた。  そのうち仕事も覚えた。  そんな時、親父が亡くなり店と土地を売ったささやかなお金が入ってくると、それを元手に、東京で森村土建を立ち上げた。  森村土建はバブル経済の時流にのり、一気に軌道にのった。しかし私は、土地の売買には手を出さなかった。というより知識が皆無だったので、出したくても出せなかったのだ。  それが功を奏してバブルが弾けても森村土建は痛手をおわなかった。  それどころか、バブル時代に稼いだ蓄えが相当あったので、その後の不景気も乗り切った。公共事業の入札だけでも十分生活できたし、仲間も増え、自分たちを勝ち組と言って日々笑って過ごした。  その根底には、自分のプライドを傷つけた礼子への当て付けが常にあった。  歪んだ満足感に浸っていたのだ。  そして29歳の頃にお前たちの母親と出会うと結婚して31歳で浩介が生まれた。  それ以来礼子の事はすっかり忘れていた。
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