(本編「デュナミスの彼方へ」の前書き)

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西田幾多郎が「善の研究」を閃いたとされる「哲学の道」や永観堂は、静けさと和、そして手の加えられた「緑」が、あの座禅のような心の平穏を与えてくれた。 見て、食べて、体験して、そう言った修学旅行では一切経験できなかった「本当」の京都を、ひいては「本来」の日本を、日本人ながら満喫した。 そうしてついぞ先日、私は友人のツテで、ある哲学者と酒を飲み交わすことができた。 「本物」という言い方はあまり好ましくないが、それでも本物の哲学者とこうして対話をする機会を得ることができた「僕」は(この哲学者の前で私の一人称はついぞ「僕」になってしまう、それくらいに偉大な人間であった)こうして帰宅した今でも非常に興奮している。何よりも初対面にもかかわらず、僕の「文学」の能力を高く評価してくれたことは、私の中で大いなる自信となったと言えるであろう。 このように、帰国してあまり経っていないが、非常に有意義な時間を、僕は過ごすことに成功している。     
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