吉野の桜

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文には、大姫と母・政子の嘆願により何とか命までは取られずに済むと云う事。だがしかし。その代わり一目会う事も、親の名を知らせる事も叶わぬと。本来であれば、此の事実を伝える事も禁じられているので内密に文を届けた事。全てにおいて力及ばぬ事を謝罪する言葉と共に(したた)められていた。 二度と会えない。名乗り合うなど以ての外。 それでも。それでも生きている。それだけで静は救われたように思えた。 「生きている。」 噛み締めるように呟いた静の声には、幾許(いくばく)かの生気が戻っていた。 会えなくても良い。生きてさえいてくれるなら。会えない事が、抱いてあげる事さえ出来ない事が、()の子を生かす為だというのなら、甘んじて受け入れましょう。 私と()の人との子だと、母は私だと名乗る事が出来なくても良い。生きていてくれるなら。私と義経様が確かに出会って、共に過ごした証。 せめて、生きていてくれるなら。命を奪われてしまったと思った、()の瞬間の言い得ぬ暗闇を思えば。悲しみでも、絶望でも、言葉が足りない。それに比べたら。 会えない事も、抱き締めてあげられない事も、些細な事だと。 願わくは、生きて幸せになってくれたら、私は… 後は、愛しい愛しい()の人に会えたら、それで良い。 滲む視界の片隅には、欠けた月が。揺らぐ像が物言いたげだったのは、錯覚か。 大姫からの文を抱き締め眠る。 …明日から忙しい。     
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