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──…しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 後ぞ恋しき…──
募る想いのまま、謡が口をつく。胸に在るのは義経だけだ。
だからこその恨みと。
此処が何処かなんて、もう如何でも良い。源氏が如何とか、今さら興味も無い。
ただ、愛しい人の身の安全と、叶うならもう一度会いたい。それだけ。
それが叶わぬと云うのなら此の世になんて、本当は未練さえ無い。
それでも、胎内に在る命を思えば自ら命を絶つことも出来ずに。何処にも行けないまま、此処でこうして居るなんて。
その思いの全てを、叩き付けるように。
見る間に頼朝の顔色が怒り一色に染まり、簾が下げられた。
その様を、冷ややかな視線で追う静。
…再び見える事が叶わぬと云うのなら、いっそ、此の場で。
武器も持たぬ無抵抗の白拍子を、怒りに任せて手打ちにでもしてくれたら、頼朝の名声も地に落ちよう。
本当に、いっそ怒り狂って殺してくれたらいいのに。きっともう、最愛の男には会えないのだろうという予感がひしひしと、静を責め立てている。
会えないなら、あの男の所為で会えないなら、せめてあの男の顔に泥を塗りたくって、死ねたら良い。
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