近いようで遠かった

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 阪神淡路大震災の時は当事者で、電気も無いし情報網も今ほど発達していないし、スマホなんかも無いから、完全に情報が遮断されてて、どれぐらいの規模でどんな報道されていたのかとか、全然知らないんですよね。  そんなことより、どこに行けば風呂に入れるのか、水が手に入るのかって方がずっと大事な情報だった。  他県どころか隣人に砕く心すら惜しいぐらい疲弊してたから、報道とか知りたくも無かった。  みんなイライラしててね。  というか、誰かがイライラすると、それがみんなに伝染していく感じ?  多分、誰もがギリギリのところにいて、ちょっとした刺激に敏感になってたんだと思います。  飛び回っている報道ヘリのローター音がまた耳障りで、片っ端から叩き落としたくなったのをよく覚えています。  親の庇護のもとだったけど、それでも生きるって大変な事だ、と思ったものです。
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