1995年、1月。記憶。

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1995年、1月。記憶。

「震度は7、マグニチュードは7.2と観測されています」 「多数の死傷者が出ています」 「引き続き、余震に十分ご注意下さい」 1995年1月17日5時46分52秒、阪神大震災発生。 深深と雪が降り続ける、朝の静寂を切り裂くニュースを、ただただ茫然自失にお前は見ていた。まだ小学生だったお前にとっては、未曾有の大震災もどこか作り込まれたフィクションのように感じて、RPGのちょっとしたイベントのようにしか思えなかったね。 (これは何だろう?そうだ、きっとこれは夢だ。僕は今、夢を見ているんだ) そう思いながら、マーガリンを塗っただけの食パンを頬張りながら、テレビを見ているお前を見ていた。目覚まし時計の音が、家族の誰かを起こしてしまわないように、音が鳴り始めたほんの一瞬の間に起きることが得意だったお前は、サラリーマンのように規則正しい朝を過ごしていたね。 六時三十分 起床 七時十五分 登校 朝食はいつもトースト二枚。食パンをトースターに放り込んで、一枚目は八十秒。二枚目は六十秒ちょうど。焼き上がりを告げるトースターの音を抑え込む方法は、小学校を卒業するまで、とうとう判明しなかったっけ。 その日は、ブラウン管の向こうに広がる、非現実的で、まるで世界の終わりのような光景が信じられず、いつもよりテレビのボリュームを上げていたね。 「昇太。テレビ、うるさい」 甲高い声が聞こえてきて、お前は慌ててボリュームを普段どおりの音量に戻した。普段から気を使っているが、稀に大きな物音をたててしまう時には、決まってこの声が寝室から聞こえてくる。 母親は水商売をしていて、朝の騒音を酷く嫌った。母親と、同じように水商売をしていた父親は、数年前に母親が連れてきた男だった。男は、更に深い眠りについているようで、朝の騒音に目を覚ますことは滅多になかった。 二人の間には、娘が生まれていたが、朝、目を覚ましてグズることもない孝行娘だった。再婚相手との娘とは言え、自分とは出来の違うよく出来た妹に、お前はいつも疎外感のようなものを感じていたね。 家族の中で、自分だけが家族じゃないような、そんな気持ち。国語の授業で「丁稚」という言葉を覚えた時、妙に親近感を覚えたっけ。でも決して自分が不幸だとか、可哀想だとか、そんな風に思ったことはなかったね。
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