2イデアなどない過去

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スーツやロレックスの時計、さらにはBeatsのイヤホン(僕自身は性能的な面でBoseの方が好きだが、彼に必要なのは音質よりも「ブランド」なのだろう、ああっ嘆かわしい!)は、彼のずんぐりとした体系や脂汗の光る醜い顔には一切似合わない。これらのブランド物に「着られている」と表現した方が文学的には正しいとさえ思われる。 兎にも角にも僕にはそんな「大それた」ことはできないので、車窓から景色を眺める。 これくらいがちょうどいい。学も金も名誉もすべてそこそこの僕には、こうして変わりゆく街並み、高層ビル群から住宅街、田んぼから商店街、などと変わっていく様を目で追っているだけで楽しいのだ。特に今の季節、雨ばかり降るこの梅雨の季節は特に好きだ。理由はない。あるかもしれないがそんなものは芸術家でもなんでもない僕にとってはどうでもいい。 「次は、目白、目白です。降り口は左側です」 何百回聞いたアナウンスが流れてくる。 目白が近くなった時は、大抵景色に飽きているので特に何もしていない。 「無駄な時間」というやつだ。しかし世の中には「どんな時間も無駄じゃない」という意見や「人生なんてどうせすべて無駄」という考えが二項対立になっている。でもそれなら「無駄な時間」などという時間は一切存在しないのではないだろうか。すべて「無駄」でなければこの時間は無駄ではないし、「すべて無駄」ならばこの時間以外の時間も無駄なのでこの時間だけを「無駄」と言えない。二項対立。聞こえは難しいが二つの概念が対立しているだけのことだ。     
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