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陽輔のパンの威力は絶大だ。嘘やごまかしは一切通用しない。
「料理の脇役だなんて、言わせない」
「唯吹」
一度立ち上がった陽輔が椅子に座り直した。
「あ」
かぶりつこうとしていたパン・オ・レザンを取り上げられる。
「唯吹は、俺と俺の焼いたパンと、どっちが好きなんだ」
「……は?」
何かの冗談かと思ったが、陽輔は至って真剣な眼差しで唯吹の顔を睨んでくる。
「なあ、どっち」
思わず、「ぶはっ」と吹き出してしまった。
「その二者択一で来るとは思わなかった」
拳を手に当てて、笑い声をこらえる。
(仕事と俺と、どっちが大事なんだ)
そんな風に責められて倦んでいた日々が、はるか遠い昔に思える。
陽輔がむっとした顔になった。
「しょうがないだろ。俺のパン食ってるときの唯吹があんまり可愛い顔するから、ときどき心配になるんだよ」
顔を隠していた手を陽輔の手に捉えられて、きゅっと握られる。高い鼻が、唯吹の鼻先をかすめるように傾けられる。
(あ)
押し切られたキスは、焼き立てのパン・オ・レザンよりもずっと、舌に甘い。
もう二度と、この舌で嘘なんてつけなくなりそうだ。
(了)
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