§3

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「そういうことなら、このパイの店の近くとか面白いレストランやカフェが多いぞ。今度ローラーかけてみようかと思ってるんだ」  ローラーとは、一帯の飲食店にしらみつぶしに飛び込み営業をかけることを指す。労力の割に直接の見返りは少ないが、利用者の生の声が聞けるのは貴重だし、後々思わぬ展開に繋がることもある。 「あ、そこって、最近話題になってる北欧雑貨の店の近くでしょ」 「モダン漆器のショールームも、駅のそっち側じゃなかったっけ」  武藤の話を聞いた他の社員も、情報交換に花を咲かせている。唯吹はコンデンスミルクの入ったベトナムコーヒーを飲みながら、それらの店名を頭にメモした。  陽輔なら、食に関係する店には興味を持つのではないか。殺風景な店内に彩りを添える雑貨なんかを勧めてみてもいい。へえ、こんなの知らなかった、と感心させてやりたい。 (毎回そうやって、先回りして店の偵察をするのか?)  こうして思い返してみると、あのとき陽輔が苛立った理由がなんとなくわかる気がする。自分が選んだものは当日まで秘密にしておいて、相手を驚かせたい。  陽輔の顔を思い浮かべながら、唯吹はデートの計画を練った。仕事の下調べでは味わったことのない、不思議な高揚感だった。
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