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「たとえば僕は、パン・オ・レザンが大好物なんです。でも、なかなか納得のいく味のものが見つからなくて」
クロワッサンと同じようなバターたっぷりの生地でカスタードとレーズンを巻いて焼き上げるパン・オ・レザンは、店によって相当に味が違う。唯吹の理想は、カスタードにコクがあって、洋酒に漬けたレーズンの味が効いていて、その上であくまで菓子ではなくパンとしての食べ応えのあるものだ。
北海道の決まった生産者の小麦しか使わず、製粉工場まで指定するほどパン生地の「素」の味わいに妥協しない彼が、そのこだわりでああいう贅沢なパンを焼いたら、一体どれほど美味なものができるだろう。
「なんだ。彼女の趣味なのかと思った」
理想のパン・オ・レザンの味を想像して気が緩んでいたのか、そんな陽輔の言葉に、つい構えずに本音を返してしまったのだ。
「違いますよ。そもそも僕の場合は『彼女』じゃなくて『彼』ですし」
「彼?」
しまった、と思った時は遅かった。
「椎名さん、彼氏がいるのか?」
それで、今のこの状況に至るというわけだ。
陽輔の眼差しは、獲物でも狙うみたいに隙がない。その迫力に唯吹はひやりとする。この話題はタブーだっただろうか。
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