第1章 懐かしい眼差し

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   *    *    *  ピアノ、好き?  ううん好きじゃない。だって、全然うまく弾けないし、練習も好きじゃないし。  じゃあ、辞めるの?  辞め、ない。  どうして?  だって……。 『だって』  どこか遠くに感じていた会話がだんだんと近くなって、いつの間にか自分の声と重なっていた。ふと気付けば、わたしの隣には不思議そうな顔で首を傾げるあの人がいた。よく知った、大好きな人。その人がじっとわたしの答えを待っている。  わたしは俯いて声を振り絞る。 『だって、もうちょっと上手になったら、一緒に弾ける、かもしれない……し?』  少しだけ間をおいて、彼が言った。 『じゃあ、頼んでみようよ。今度の発表会、二人で連弾させて下さいって』  驚いて顔を上げた。彼はただニコニコと笑っている。大好きなその笑顔にもう何も言えなくなった。  嬉しさと恥ずかしさと、何かわからないポカポカとしたものが胸に込み上げて来て。  ああ、なんて幸せなんだろう。  そんなことを思ったりした。  ――そんな懐かしい夢を見た。  懐かしすぎて、目が覚めてからもしばらくその余韻に浸っていたわたしは、ゆっくりと瞬きをしてようやく体を起こした。  それでも、まだ夢の「残り香」が体の周りに纏わりついているような感じだ。けっして悪い気はしない。だけど、懐かしすぎて「悲しい」。 「……まあいっか」  気持ちを紛らすように、大きく欠伸交じりの伸びをした。朝から物思いにふけっている時間はない。 「よいしょ!」    わざと威勢よく声をあげて、ベッドから下りた。
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