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夜が明けた。ここ、二階の部屋からは街道を行く旅人の姿が見下ろせる。
時は享保六年。八代将軍徳川吉宗の治世だが、律にとってそれはどうでもいいことだった。片膝を立て、窓辺にもたれていた律は、けだるく息をついた。
「今日もよく晴れてやがるな」
「嫌そうにそんなこと言うの律さんくらいだよ」
淡々と答えるのは、千彰(ちあき)だ。年は十八、律よりも四つ下である。
彼は早くも布団をたたみ終え、しわのないこぎれいな着物と袴を身に纏っていた。黒髪を高い位置できゅっと結い上げ、出立の準備をすでに整えている様子だ。
律はまた一つ息をついて、腰を上げた。
「どこにいくの? もうすぐ朝餉なのに」
千彰の問いかけに、律は振り向かずに答えた。
「狭い部屋にいると息が詰まる。少し外に出てくる」
「贅沢だなぁ。旅籠に泊まれるだけ幸せなのに」
「何が旅籠だ。古いし狭いしゆっくり寝られたものではない」
「知らない人と相部屋にならないだけよしとしなきゃ。僕は相部屋でも全然平気だけどね」
相部屋などもってのほかである。想像するだけで身震いがする。自分にはふさわしくない。
律の不機嫌な顔にも動じることなく、千彰は淡々と身支度を整えていた。旅の苛立ちをぶつける気も失せた律は、足元へと視線を移す。大口を開けて寝息をたてている男に、律は嘆息した。
「藤弥(とうや)のことも起こしておいてくれ。こいつは放っておいたら昼までは寝ているからな。朝餉がすんだらすぐに発ちたい」
京から江戸を目指して東海道を辿り、ここ浜松まで来た。早くこんな窮屈な旅路を終わらせたかった。
律は苛々を抱えたまま部屋を後にした。
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