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僕と彼
父親のスーツのポケットから失敬した、一本の煙草。
ろくに味もわからず飲み込んで、そのあとしばらく世界が揺れていた。
団地の公園に集まって飲んだ、グレープフルーツ味の缶チューハイ。
友達の一人が泥酔して、その場で吐いてたっけ。
大人に憧れて、大人の真似をして、ゲラゲラ笑っていた子供時代。
机がぎゅうぎゅうに並んだ狭い教室の、窓側から二列目の後ろのほう。少し制服を着崩したあいつと、十分の休み時間にジャンプを回し読みしたり、ポッキーを食べさせあったりした――今でも夢に見るんだ。その夢を見たあとは必ず、少し泣いている。
「へいき?」
静かな声と、目尻をかすめたひんやり冷たい指先の感触。
ぼうっと目蓋を開けると、笑っているのか呆れているのか、くすぐったそうに眉根を寄せた彼の顔が視界いっぱいに広がる。
「……へいき、ごめん」
絞り出した声はからからに擦れている。効きすぎのホテルの空調で、すっかり乾燥してしまったらしい。
「俺、落ちてた?」
「ちょっとだけね。疲れてたんじゃない?無理させちゃったかな」
「ううん……よすぎただけ」
茶化して言って、冷たい手のひらに頬をこすりつけると、今度こそ彼はくすぐったそうに笑う。週末に会って、セックスして、その夜のうちに別れる関係がもう一年以上続いていた。
ギシ、と安いベッドが軋んで、覆いかぶさった彼の首を抱きながら唇を重ねる。
散々に僕の身体を奥まで責めた彼の舌は、えぐいような酸っぱいような、とにかく決して美味ではない。
「ん……」
ねっとりと絡めて、離れる時に引いた糸を最後に短いキスで切って。なんとなく二人とも身体を起こして、なんとなく、背中合わせにベッドの両端に腰掛ける。
「また、昔の夢?」
背中越しに聞く穏やかなテノールが好きだ。
「うん。こういうのもノスタルジーなのかな」
「かもね」
初恋のあいつとは、卒業以来一度も会っていない。
当たり前だろう。親友と思っていた相手が、ずっといやらしい目で自分を見ていたなんて知ってしまったんだから。メール一通で終わった友情……と、初恋。僕も男、彼も男だった。
ワイシャツに腕を通して、ネクタイを結ぶ。中高と制服はブレザーだったけど、ネクタイはホック式だったから、結べるようになったのはサラリーマンになってからだ。
だるい太腿を上げて、身じまいを整えて、チェックアウトまでのあと数分ですることと言ったらこれくらい。ヘッドボードを手探って、一本を咥えて、カチ、火をつける。すうっとタールが染みる感覚に身を委ね、煙を吐くと、燻った匂いと白い煙が部屋に広がった。
十七の時に初めて吸ったマイルドセブン。今は、メヴィウスに名前が変わった。
「俺にもちょうだい」
「これ?軽いよ?」
「切らしちゃってさ」
「らしくないね、ヘビースモーカーが」
「会社出る時には気付いてたんだけど。早く会いたかったから」
さて、彼独特の、軟派な言い方。
ふっと笑ってケースを差し出すと、僕と同じようにそこから一本を咥えて、顔を近づけてくる。
ジリ……火が移るまでのほんの数秒が好きだ。
僕から顔を背けて明後日のほうへ煙を吐いて、彼はまた笑った。
「来週も会える?」
「――うん」
終わり
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